TSUKUBA FUTURE #109:彫刻から生まれるコミュニケーション

芸術系 宮坂 慎司 助教
芸术の中でも「彫刻」は难解な印象のある领域です。しかし、古代ギリシャ?ローマの时代から、たくさんの作品がつくられ、また日本でも、土偶やハニワに始まり、膨大な数の仏像などが制作されてきました。子供でも、粘土があれば、自然と手が伸びて何かしらの形を作ります。3顿プリンタであらゆる形を造形できるようになった现代においても、そういう自然発生的な活动はなくなりませんから、像をつくるという欲求は、人间が根源的に持っているものなのでしょう。
像をつくる技法には、木や石を削っていく方法(彫刻/肠补谤惫颈苍驳)と、粘土や石膏を积み重ねていく方法(塑造/尘辞诲别濒颈苍驳)があります。宫坂さんの専门は、粘土やモルタルなどの素材を使った塑造です。のみを使って少しずつ形を削り出す彫刻に比べて、大きな块を积み重ねてダイナミックに形を変化させる、そのスピード感が、塑造の心地よさだといいます。人间に関心があり、普遍的な人间像をテーマに、作品制作に取り组んでいます。

作品制作について热く语る
ギリシャ彫刻などでは、美しく均整のとれた人体が多く表现されています。成熟してはつらつとした姿が、生気を感じさせ、健康的な美の象徴として、今もなお人々を魅了します。それはある意味、完成された芸术だともいえます。しかし、発育途中の段阶も、様々な苦楽を経て年老いた様子も、人间の尊い姿です。そこには、その时々の人生が宿っていて、それを受け止めて表现するのが、作家の力量。すでにやり尽くされたようにも思える芸术を続けていく意义は、その时代に生きる个人の在り様を残していくところにあると、宫坂さんは考えています。
宫坂さんの最近の作品は、敢えて头部や手を省略し、トルソ(胴体部分)に着目したものが多くなっています。颜や手は表情がとても豊かで、モデルとなった特定の人のイメージが强く现れ、どうしてもそこへ目线が夺われてしまいます。それは、人间の普遍性を表现しようとする时には邪魔になるのです。それらをなくしてしまうことで、鑑赏者がそれぞれの解釈をする余地も生まれます。さらに、背中が大きくくり抜かれた像や、ダンスをしている人の衣装だけで体の动きを表そうとする像なども制作しています。単に奇抜なことをしているわけではなく、それによって见える空间の大きさや、质感の违いに対する新しい発见があるのです。
彫刻は、手で直に触りながらつくる芸术です。道具を使って形を整えても、最后は必ず手で触って确かめます。ですから、鑑赏する时も、作品に触ってみると作家の思いがより鲜明に伝わってきます。もちろん通常の美术馆などでは作品に触れることはできませんが、彫刻ならではの「触れる鑑赏」も、宫坂さんの研究テーマです。この鑑赏方法は、主に视覚障害者を対象に「タッチツアー」として、展覧会などの场で行われています。

タッチツアーで宫坂さんの作品に触れる附属视覚特别支援学校の生徒たち
「见る」だけの鑑赏では、外见を瞬间的に把握して、そこで终わってしまいがちですが、触れてみると、视覚からは得られない気づきがあります。タッチツアーでは、会场内の诱导と作品解説を兼ねて、作家たちも鑑赏者とともに会场を巡ります。あらゆる方向から触れると、思いがけない感想や指摘が次々と飞び出し、コミュニケーションが広がります。一人で黙々と制作に打ち込むことの多い作家が、作品を前に鑑赏者と直接対话をするのも、刺激的な体験です。その光景は、展覧会としてはずいぶん賑やかで、なんとなく敷居の高かった彫刻という芸术が、ぐっと身近になったようにも感じられます。视覚障害者に限らず、みんなにこのような鑑赏の场が开かれることが重要です。
宫坂さんは、こういった鑑赏者との対话の机会を积极的に设けています。认知心理学者のアビゲイル?ハウゼンによれば美的认知の発达には段阶があり、年齢や鑑赏経験に応じた适切な鑑赏方法が研究されています。それでも共通しているのは、まず、自分の好きな作品を见つけること。有名な作品や、世间の评価の高い作品を鑑赏することも大切ですが、自分の気に入った作品をじっくりと鑑赏し、なぜそれが好きなのかを掘り下げて考えます。そのプロセスで、鑑赏者同士、鑑赏者と作家、そして鑑赏者の内面で、様々なコミュニケーションが生まれます。それは现代における芸术に课せられた使命でもあります。作品制作と鑑赏体験を通じて、彫刻に対する宫坂さんの探求は続きます。

千叶県立美术馆での展覧会「具象彫刻の今?彫刻家宫坂慎司と県美の収蔵作家たち?」(2019)
文責:広報室 サイエンスコミュニケーター