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TSUKUBA FUTURE #080:美術史のタイムトラベラー

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芸術系 林 みちこ 准教授


 1905年に日露戦争で胜利した日本は、アジアでの覇権を进める一方で、日英同盟の坚持にこだわり、1910年にロンドン郊外での大规模な日英博覧会を企画しました。一般にはあまり知られていない博覧会ですが、欧米の列强国の仲间入りを果たそうとしていた日本は、外交戦略の一环として并々ならぬ力を入れて临みました。ただし、イギリスの名うての兴行主が开催主だったこともあり、日英博という名にもかかわらず、日本侧の展示が圧倒的に多かったといいます。しかし逆にそれが功を奏したのか、异国情绪が话题のジャパンフェアとして、多くの観客を呼び込みました。


日英博覧会の豪华な図録を见ると、日本政府の力の入れようがよくわかる。


 日本からは、产业力を示す工业製品に加えて、相扑の兴行や大工など职人の実演から工芸品、美术品まで幅広い品々が出展されました。特に美术品に関しては、鸟獣戯画や尾形光琳の红白梅図屏风など、现在では国内ですらめったに见られないお宝がたくさん展示されました。博覧会の研究は、通常、経済史や外交史の分野で扱われますが、林さんは近代美术史の観点から、これらの展示に着目してきました。


 船便で何日もかけて输送するわけですから、美术品がダメージを受ける悬念は大きく、特に国宝の持ち出しに対して、国内の専门家は强く反対しました。それを押し切ったのは、政府の政治判断でした。当时すでに人気のあった织物など、エキゾチックな工芸品やインテリアだけではなく、歴史ある伝统国家であることを示すための古典作品と、近代国家たる芸术的水準の高さを见せるための最新作、その両方を存分に绍介しようとしたのです。随行した学芸员の繊细な美术品の扱い方も评判となり、展示は大成功を収めました。


 近代史研究の魅力のひとつは、当时の重要人物にゆかりのある人が存命であったり、史料の现物が良い状态で残っていることです。林さんは、それらの人々を访ねて话を闻いたり、古书店を巡って日英博の际に作られた図録や画集などを収集しました。それらの品々をつぶさに観察すると、おもしろい発见があります。たとえば、展示の各部门に対して赠られた赏状には、日英それぞれの女神像など、それ自体が芸术作品のような精緻で美しいシンボリックな図柄が採用されています。ここで気になるのは女神像。多くの国には、その国を拟人化した女神、戦う女性像があり、イギリスのそれはブリタニアです。では日本の女神とは? ブリタニアと并んで一风変わった着物姿の女性が描かれていますが、どうもしっくりきません。日本には、もともとそのような女神像は存在しないからです。ただしこの像にはモデルがいて、林さんによれば、古事记?日本书纪に记された皇女、倭姫命(やまとひめのみこと)なのだそうです。古代史の伝承、神话上の人物や名将が近代になって図像化?歴史化される。このような流れは明治期后半の日本美术の特徴でもあります。一方、この日本の女神像は、戦后はすっかり忘れ去られました。国を象徴して戦う女性像が、日本にはなじまなかったのかもしれません。しかしその一方で、アニメなどの现代ポップカルチャーでは少女戦士が活跃し人気を博しています。「女神」の捉え方や表现方法の変迁、これも兴味深い研究テーマです。1枚の赏状が古代にまでつながり、现代を読み解く键にもなる。林さんはそこに近代美术史の魅力を感じています。


日英博覧会の展示に対して赠られた表彰状。日英の女神が描かれた不思议な図案が印象的。


 高校时代、美术部に所属していた林さんは、自分で絵を描くより、絵を见てそれを文章に表す方が好きだったそうです。学芸员という仕事に兴味を持ちつつも当初は理系を目指していましたが、大学受験间际になって文転。文学系ではなく芸术系の中に美术史コースがある筑波大学芸术専门学群に入学しました。大学院を终えてから10年间、ポーラ美术馆で念愿の学芸员を务め、作品やそこから受けるイメージを言语化するスキルを身につけました。美术史研究の真髄は、作品とその歴史を言叶で表すことにあります。そのためには、まずじっくり観察することが重要です。そして自分なりに见つけたことや解釈を言叶にすることで、他の人との共有が可能となります。インスピレーションをたえず磨いていることも大切です。その意味でも、久々に母校に戻った林さんは、教员や学生がアート作品の制作に励む横で美术史を研究するという环境のぜいたくさを改めて実感しています。


文責:広報室 サイエンスコミュニケーター


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