大象传媒

社会?文化

TSUKUBA FUTURE #078:ヘミングウェイ文学から「読むことの倫理」を学ぶ

タイトル画像

人文社会系 河田 英介 助教


 文豪と称されるヘミングウェイですが、本人は辞书を使用せずに読める文学を目指していたそうです。ヘミングウェイを原文で初めて読んだ时、河田さんは、このシンプルさを讶しんだそうです。それもそのはず、文豪自身、「私は常に氷山の原则に従って书こうとする。水面上に现れている部分に対してそれぞれ8分の7が水面下に存在する」と语っていたとか。つまり自らの文学の本质を、意识的にほぼ水面下に隠していたわけです。


 ヘミングウェイは1920年代半ばから多くの短编作品と长编を残しました。『日はまた昇る』『武器よさらば』『谁が為に鐘は鸣る』、そして『老人と海』を発表し、54年にノーベル文学赏に辉き、61年に亡くなりました。没后半世纪以上を経て、すでに研究し尽くされているのではないかと思うのは素人考え、时代ごとに新たな问题を与えてくれる深い作家なのだそうです。


回り道してきたことを粮にしたいと语る


 昔から人気のあったヘミングウェイですが、その一方で、「マッチョ作家」とか「女性蔑视」という烙印も押されてきました。しかし、现代の観点から読み返せば、男性优位社会の中で抑圧されている女性と、それに気付かないナイーヴな男たちを前景に描くと同时に、背景には时代に隠蔽された真実を的确に描き込んでいたことがわかります。さらには、有名な『老人と海』は、一般に、老人の精神的なタフさと少年との友情の话として読まれています。しかしテクストを凝视すると、别の一面が浮き上がってくると、河田さんは语ります。主人公の老人は、なぜか英字新闻に目を通し、大リーグの胜败を気にかけています。つまり老人はキューバ人ながら、文化的に植民地化を図るアメリカにシンパシーを抱く人间として描かれているのです。そこには、植民地状态が継続するキューバのポスト?コロニアルな社会像を水面下に潜り込ませて歴史に残そうとする作意の霊妙さが见てとれるのだそうです。そしてそれは、今だからこそ鲜明に読み取れること。


 一方、ヘミングウェイの简洁な文体は、余计な装饰をそぎ落とそうとしたモダニズムの文化?政治的な背景を反映したものでもあるといいます。ヘミングウェイは、ピカソ、コクトー、シャネルらが集った、前卫作家ガートルード?スタインのサロンに出入りしていました。スタインの简洁な文体的フォルムに影响を受け、シャネルは、女性の身体を解放するため、くびれや袖のない、丈の短い黒いドレスをデザインしました。ヘミングウェイは华丽な装饰を捨て去った简洁な文体で『日はまた昇る』を书きました。そうした黒いドレスを着た女性を中心的登场人物にすることで、女性解放运动への共感を暗に示しました。ヘミングウェイの作品には女性があまり登场しない上に、登场しても饶舌ではありません。しかしそれは、女性への抑圧の歴史を记録するための歴史的记号なのだと河田さんは言います。


 80年代の脱构筑批评が提唱した「読むことの伦理」という问题设定を踏まえて、河田さんはヘミングウェイ文学を捉え直そうとしています。先入観や直感からではなく、作家の描いた氷山の8分の1を凝视することで初めて、その水面下の部分を伦理的かつ科学的に解釈しうると言います。たとえばヘミングウェイ作品の多くでは、クライマックスが削られています。いうなれば、絶顶を期待する男性的愿望がみごとに里切られているのです。なのにヘミングウェイ文学にマッチョ文学、女性蔑视という烙印を押すことは、ある意味で「読むことの伦理」に反するわけです。河田さんによれば、こうした読み方は、社会を一つのテクストと见なし、それを伦理的に読むことにも応用できるといいます。世の中の真実を伦理的に読もうとしなければ、公正な解釈を导くことはかないません。


 河田さんは、人生の远回りを楽しんだそうです。日本の高校を卒业して入学したコロンビア大学では分析哲学を学び、东京大学大学院の修士课程ではポスト构造主义思想を専攻し、博士课程からは英米文学に転向、その间に音楽人としてのキャリアも积み、休学も経験しました。しかし分野転向や音楽の自己表现は、结果的に文学的な感性を研ぎ澄ましてくれたそうです。今后は、ヘミングウェイの短编作品における修辞的美学の発展を体系的に究明していきたいそうです。


バンドではギターとボーカルを担当。
2010年、石狩湾Rising Sun Rock Festival出演のひとこま。


文責:広報室 サイエンスコミュニケーター


関连リンク