関田 晃さん
2022/02
関田 晃(セキタ アキラ)
1981年入学?1985年卒业 第2学群人间学类
[现在の职业(勤务先?役职等)]
さいたま市立大宫国际中等教育学校 校长
(1) 現在のお仕事を聞かせてください。
さいたま市立大宫国际中等教育学校の校长を务めて3年目になります。本校は2019年4月に开校した、埼玉県で初にして唯一の中等教育学校です。今年5月に国际バカロレア(滨叠)のミドル?イヤーズ?プログラム(惭驰笔)认定校となり、関东で初にして唯一の公立惭驰笔认定校になりました。现在は前期课程1~3年生479名が在籍しており、2022年からの后期课程及び2023年からの滨叠ディプロマ?プログラム(顿笔)の準备を进めています。
2012年からさいたま市教育委员会で本校の构想に携わり、2014年に开设が决まった翌2015年に母体校の市立大宫西高校の校长として着任し、以来同校闭校及び本校开校の2019年度に両校の校长を兼务した1年を含め、継続して校长7年目となります。
(2) 今改めて、筑波大学で良かったと思うことを聞かせてください。
筑波大学卒业后、埼玉県で高校教育に従事することとなった私にとっては、在学时の交友関係をはじめとする「人脉」が后々の大きな财产になりました。
例えば本校开校準备において、2018年に筑波大学大学院教育研究科と连携协定を结びましたが、これは私から在学时の先辈であった浜田博文教授を介して知り合った佐藤博志准教授(现教授)に持ち掛けて実现したものです。佐藤教授には、本校の学校评议员もお引き受けいただいています。また、当时滨叠校として先行していた札幌开成中等教育学校の初代校长相沢克明氏(现札幌市教育委员会学校教育部长)は在学时の后辈であり、多くの贵重な知见をいただくことができたことが、大いに私の助けになりました。
(3) 本学と本学の学生に対してメッセージをお願いします。
现在の勤务校の设置计画から携わり、开校と同时に初代校长となった私が、本校のような教育が必要だと考え始めたのは18歳の顷でした。当时私は高校3年生で、大学受験を控えていました。私だけではなく、私の周りの谁もが大学受験のために勉强していました。しかし私には「何のためにこういう勉强をするのか」という疑问がありました。16歳から18歳という、人生で最も多感でキラキラした时代の勉强が、大学受験のためのものだというのは理不尽だと思いました。その疑问は、「何のために生きているのか」、「何のために生まれてきたのか」という疑问でもありました。これはおかしい、これは変わらなければならない、そう思いました。
だから私は、筑波大学人间学类で教育学を学ぼうと考えました。そして、18歳だった私は、40年を経てようやく本校にたどり着きました。
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秋場 素子さん