平野 国美さん(TSUKUCOMM Vol.46)
视点を変えれば、すべてが辉く
医师
医疗法人社団彩翠会 ホームオン?クリニックつくば理事长
平野 国美さん
-访问诊疗に取り组まれていますね。どのような患者さんが多いのでしょうか。
高齢だったり、末期がんや难病などで、病院に行けない方を诊ています。本来の専门は呼吸器内科ですが、世代も病気もいろいろなので、体のことから精神のことまで、なんでも诊ます。ただ、そういう患者さんですから、快方に向かうということはなかなかなくて、结局は、どのように死を受け入れ、それまでを自分らしく过ごすか、ということになってきます。
访问诊疗では、家庭の中に入り込むことになりますから、病気の治疗だけでなく、家族関係や経済状况なんかにも、関わらざるを得なくなります。患者も家族も、むしろそういうことで悩んでいて、そこをケアしないと、精神的な痛みは取れないんです。自宅で看病していると、家族や亲戚间で争いになることも多くて、夜中に呼び出されてその仲裁に入ったりすることもあります。
医者のくせに、先端医疗とは无縁で死亡诊断书ばかり书いているなんて、と思われるかもしれませんが、死はみんなに必ず访れるものだし、最近は、できるだけ自宅で、という政府の方针もあります。この时代だからこそ、必要な仕事なんです。
-始めたきっかけはどんなことだったのですか。
终末医疗は医学のメインではありません。でも时代の流れを考えると、重要だと思いました。そんなことが成り立つとは思えないと、みんなに言われましたが、大学院を终えた顷に、大学ベンチャーが流行って、経产省の人に声をかけられて始めたんです。そのプロジェクトはすぐに溃れてしまいましたが、やってみたら意外と自分に向いているような気がして。
それ以来、自分のところには终末期の患者ばかり回されるようになりました。もちろん患者を看取るのはつらいです。でもある时、いったん入院させた患者さんが自宅に戻ってきて、手を握って言われたんです。「自分の部屋で好きなブラームスを聴きながら死にたい」って。ある年齢を越えれば、それなりに社会的な役割は果たしているし、だったら最期のところを平和に、辉かせる仕事を谁かがやらなければならないと思いました。そのうち、賛同してくれる医者やスタッフも现れて、介护施设を作ることもできました。
-患者さんやその家族との様々なエピソードを出版されていますね。
当初は、家族の揉め事に巻き込まれるのは面倒だと思っていたんですけど、すぐに头を切り替えて、それを楽しむようになりました。他人の家をドアの隙间から覗いている感じですね。不谨慎かもしれませんが、そうやって见ていると、どの患者さんにも物语があって、もともと文章を书くのは大好きだったので、それを书きとめていくうちに、出版のお话をいただいて、ドラマ化までしてしまいました。
死と向き合うプロセスは、人生を振り返る时间です。特に高齢者の场合は、死そのものよりも、その前の苦痛や残される家族を心配します。机械につながれて1秒でも长く生きるよりも、他にやりたいことがあるはずで、それを少しでも実现させてあげることで、本人も家族も纳得できるんですよね。医者としても、なるべく自然な形で、死亡诊断书に「老衰」と书き、家族には「大往生でした」と言ってあげたい。见せ方、捉え方で、死は必ずしも败北ではなくなると思うんです。
-ところで、学生时代の筑波大はどんな场所でしたか。
実家は龙ヶ崎で、小学生の顷に筑波大ができました。グランドが土じゃなくてゴムでできてる、なんて闻いて、惊いて见に行ったりしました。偏差値も低かったし、それまでは実家の自転车屋を継ぐ気でいたんですけど、东京へ行かなくても大学へ行ける、自分のためにできたんじゃないかって勘违いしちゃって。
医者を目指したのは、子供の顷に肺炎で死にかけたことがきっかけです。1浪してなんとか入学しましたが、正直、辛い场所でした。授业についていけなくて2年留年しましたし、一生悬命やったのに、研修医としての评価も散々でしたからね。対人関係もあまりうまくいかなくて、勉强しに行くというよりも、気に入らない先生をなんとかしてやりたい、なんて気持ちで大学に通っていた时期もあります。とにかく居场所がない感じでした。
-これからやりたい医疗や活动について闻かせてください。
50歳を过ぎて结婚したのですが、他人と暮らしてみて初めて、自分が変わっていることに気づきました。一种の発达障害だったんです。それがわかってからは、それまで自分がうまくいかなかったいろいろなことも腑に落ちて、楽しく生きられるようになりました。一见、マイナスに思えることも、视点が変われば辉きだす。だから、これからは発达障害の人たちの支援もしていきたいと考えています。
困っている时に谁かが手を差し伸べてくれるというのは、どんな场面でもあることです。でも発达障害の人たちは、その手を拒否してしまったり、気づかずに见过ごしてしまうんです。支援する侧の接し方を変えることで、一歩を踏み出せる人も増えるはずです。今、大学でなんとなく居心地悪く感じている人も、引きこもったり悲観的になる必要はありません。谁だって、居心地の良い场所が见つかれば、それぞれの个性を発挥することができるんです。
PROFILE
学歴
1992年3月 筑波大学 医学専門学群 卒業
2002年4月 筑波大学 博士課程医学研究科 修了
职歴
1992年3月 筑波大学附属病院及び県内の中核病院にて地域医療に携わる
2002年4月 訪問診療専門クリニック「ホームオン?クリニックつくば」開設
2003年9月 医療法人社団「彩黎会」設立、理事長に就任
その他
2004年 日本民間放送連盟賞ラジオ報道部門?最優秀賞受賞
(诊疗活动を绍介した茨城放送报道スペシャル)
2009年10月 小学館より「看取りの医者」刊行
2011年12月 「看取りの医者」 大竹しのぶ主演でドラマ化される
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