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ALUMNI

上田 崇順さん(TSUKUCOMM Vol.45)

すべてがつながって、今の自分

株式会社毎日放送 アナウンサー室
上田 崇順さん


-ご出身は関西ですね。筑波大学への进学はどのように决めたのでしょうか。

まずスポーツありきでした。高校时代、竞泳で近畿大会までは行ったんですけど、もっと高いレベルのチームで练习したらどこまで行けるのか、やってみたかった。ただ、自分の泳力は超一流というほどでもなく、いろいろ调べて、筑波大なら、いろんなレベルの选手がいるらしいということがわかって、それで决めました。

でも、体育専门学群の一般入试は2种目必要なのに、水泳以外はできなかったんです。高校では理系だったので、工学部に行って、水泳も続けようと思いました。それで推荐入试を受けて、工学システム学类に入学しました。

入学したのは阪神大震灾の直后で、交通も完全に復旧していなくて、神戸から大阪、さらに东京、つくばと行くのが大変でした。でも寮生活は楽しかったですよ。

早速、水泳部に入りましたが、やはり厳しかったです。たまたまこの年、自分と同レベルの人がたくさん入部して、新人コーチのもと、ステップアップコースみたいのができたのでラッキーでした。学业との両立は大変でしたけど、友人たちに助けてもらって、なんとかやりきりました。

-最初からアナウンサーを目指していたのですか。

1年留年したこともあって、进学せずに就职することにしました。専攻が情报処理だったので、技术职で、スポーツにも関われる仕事、ということで、放送局に绞りました。希望は、カメラマンなどの技术职でしたが、メディア研究をしていた知り合いに相谈したら、なぜかアナウンサーを勧められて。アナウンサーの试験は他より少し时期が早くて、练习がてら受けているうちに、自信もついて、しゃべる仕事もいいな、と思うようになりました。

今の会社に入って、スポーツや情报番组を担当しながら、その间、横目で见ていた报道にも関心を持ち始めていたところに、新しいラジオの报道番组が始まることになって、そのリポーター兼キャスターのオファーが突然来たんです。最初に取材したのは冲縄の基地问题。それから东日本大震灾があって、原発の问题に取り组むようになりました。番组は変わりましたが、その后は、香港や台湾の问题などを中心に取材とリポートをしています。

-以前から政治や民主化运动などに関心があったのですか。

全く兴味はなかったです。原子力は役に立つものだと信じきっていたし、伟い人はちゃんと考えてやってくれるものだと思っていました。

だから、原発の事故はとてもショックでした。京都大学(当时)の小出裕章さんに、毎日のように番组に出演してもらいながら、自分は现地で除染の作业员を取材しているうちに、东京で流れている情报とは违うことがわかってきたんです。そういうことを率直に报告して、リスナーにも随分応援してもらいました。でも番组は打ち切られることになってしまって。それが青天の霹靂で、时间もできたのでカナダへ留学したんです。

カナダでは即兴演剧を勉强しました。唐突な感じですが、演剧は、取材の中でたまたま出会ったもので、アナウンサーとしての表现力を身につけるのにもちょうど良くて、のめり込みました。今も、毎年のように、海外のあちこちで行われる即兴演剧のイベントに参加しています。そこで、いろんな国の人と知り合ったり、自分が演じる役柄について调べたりするうちに、台湾や香港の歴史や动向に関心を持つようになりました。

-これから取材したいテーマなどはありますか。

现在は、「ニュースなラヂオ」という番组でキャスターニュースや隔週で10分のコーナーを担当しています。少ないように思えますが、きちんと取材して、オンエア用にまとめるには、それなりに时间がかかるんです。ネタは、基本的にはなんでもありで、自分で选ぶことも、スタッフから提案されることもあります。台湾、香港の话题は継続していますし、広岛の平和记念馆からの中継、滨罢や础滨のことを扱ったりもします。

演剧を通じて知り合った人たちに、世界中のいろんなことを取材できるのがすごく良いです。台湾や香港だけでなく、アイルランドの人にブレグジットの话を闻いたり、ニュージーランドの人に女性首相の产休や銃规制の话を闻いたり、彼らもとても真挚に答えてくれるので、ありがたいですね。

-后辈たちに向けて、メッセージを。

人生の节目节目で、何かの流れにのみこまれて、思わぬ方向に行ってしまうことがあります。でもそれは用意されていたんじゃないかって感じるんです。その时は悲観したり戸惑っても、结果的には巡り会うべきものに巡り会っている。运命论みたいですけど、波长とか周波数が合う、という不思议な感覚を信じられると、人生が楽しくなります。大学では、友人に随分助けてもらいましたが、その助け合い精神も、今だに役立っている。大学で勉强したことも同じです。一见、関係なさそうなことでも、全部つながっていると思います。

自分の将来の姿をイメージすることも大事です。だから、目标は高く掲げた方が良い。思い込んでいると、自然と意识がそちらへ向いて行动するようになって、実现するものですから。

PROFILE

1976年 兵库県神戸市生まれ
2000年 筑波大学第叁学群工学システム学类 卒业
毎日放送入社 アナウンサーに
野球実况などのスポーツ、情报番组などをテレビ?ラジオ问わず担当した后、2009年、ラジオ「たね蒔きジャーナル」立ち上げでラジオ记者兼务を3年。现在、ラジオニュースを中心に担当。冲縄、福岛、台湾、香港などを中心に取材を続ける。
2012年、福岛原発事故、原発作业员の取材でギャラクシー赏ラジオ部门优秀赏、民间放送连盟赏ラジオ报道番组优秀赏などを受赏。プライベートでは即兴演剧に倾倒し、2013年夏、カナダへ短期留学。ヨーロッパ、ニュージーランドなど、海外の即兴演剧祭に参加。



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