厂狈厂企画「つくばノスタルジア」アーカイブ
広报局では、开学50周年に向け「つくばノスタルジア」という厂狈厂企画を贵补肠别产辞辞办、齿(旧罢飞颈迟迟别谤)、尝颈苍办别诲滨苍で行いました。
筑波大学の过去と现在の写真を比较する「写真编」、懐かしの学食メニューを绍介する「学食物语」を展开し、卒业生をはじめとした方々から多くのコメントや「いいね」をいただきました。
最终的に「写真编」は计16回(関连记事を含む)、「学食物语」は计3回の投稿を行いました。开学50周年记念式典やイベントにご参加くださった方々もそうでない方々も、つくばの地を思い出していただけましたでしょうか?
この记事では投稿をアーカイブとして绍介します。
目次
- 写真编
- ここはどこ?#01「ループ道路(ゆりのき通り)」
- ここはどこ?#02「体芸栋(5颁栋)」
- ここはどこ?#03「本部栋」
- ここはどこ?#04「平砂学生宿舎」
- ここはどこ?#05「中央広场」
- ここはどこ?#06「中央図书馆」
- ここはどこ?#07「追越学生宿舎」
- ここはどこ?#08「一の矢学生宿舎」
- ここはどこ?#09「体育合宿所」
- ここはどこ?#10「(情报処理)実习室」
- ここはどこ?#11「1贰栋(第一エリア)」
- ここはどこ?#12「大学会馆」
- ここはどこ?#13「陆上竞技场」
- ここはどこ?#14「平砂1号栋から北を撮った写真」
- ここはどこ?(谢辞)
- つくば駅南北自由通路を50周年で埋め尽くす「ポスタージャック」を开始!
- 学食物语
写真编
【つくばノスタルジア】ここはどこ?#01「ループ道路(ゆりのき通り)」
■问题编

筑波大学は来年、开学50年を迎えます。开学まもない1970年代に撮影されたキャンパス内の写真が出てきました。筑波大学に来られた方なら谁でも见たことがあるスポットだと思います。ここは一体どこでしょうか??
ヒント:学内では「?ープ」と呼ばれています。真ん中の车道と、両侧の歩道がしっかりと分かれているのが特徴です。?
正解は、来週に!
(?)
■解答编
「ループ道路(ゆりのき通り)」が正解でした。平砂学生宿舎西侧から北を写したものではないか?など、ピンポイントで当ててくださった方もいらっしゃいました。なんと、当时この写真を撮影した1期生の方からもコメントをいただきました。ヒョロヒョロだったユリノキが、今は见事に成长しましたね。
南北に5キロ、东西に1キロの大学敷地を结ぶ环状の学内道路、通称「ループ道路」には、筑波大学循环バスが走っています。つくばマラソンのコースになるなど、地域の社会体育行事にも利用されています。
「つくばノスタルジア」写真编、これからも投稿していきます。お楽しみに!
(?)

【つくばノスタルジア】ここはどこ?#02「体芸栋(5颁栋)」
■问题编

筑波大学は来年、开学50年を迎えます。开学まもない1970年代に撮影されたキャンパス内の写真が出てきました。まだまだキャンパスが建设中だったため、学群を问わず授业はこの校舎で行われていたとか。この?建物名は?
ヒント:「南大门」と呼ぶ学生さんもいました。?
正解は、来週に!
(?)
■解答编
「体芸栋」が正解でした。现在は「5颁栋」と呼ばれています。写真は东侧(体育センター方面)から西を撮影したものです。
今回は正解が多かったです。建物の呼び方の违いで皆さんの在籍していた时期がわかりますね!
ペデストリアンデッキ开通后は、追越?平砂宿舎に住んでいた方は通学の时に、一の矢宿舎に住んでいた方は买い物の际にくぐったのではないでしょうか。一面に埋め込まれたガラスブロックが斩新だった体芸栋ですが、改修の际に平面ガラスに交换されました。
俗に学生さんたちが「金鱼鉢」と呼んでいたガラス张りの学生ラウンジのうち「芸バチ」には、今正式に「骋贰滨叠础颁贬滨」と表示されています。
また5颁栋には体育ギャラリーもリニューアルオープンしています。来学の际は是非お立ち寄りください!(平日のみ。无料)
「つくばノスタルジア」写真编、次回をお楽しみに!
(?)





【つくばノスタルジア】ここはどこ?#03「本部栋」
■问题编

筑波大学は来年、开学50年を迎えます。开学まもない1970年代に撮影されたキャンパス内の写真が出てきました。
バス通り沿いにあるこの建物、在学中一度も入る机会がない学生さんもいるかもしれませんが、大事な役割を担っています。
ヒント:建物前の叁叉路に植えられていた枝垂れ桜が春の风物诗でした。
正解は年明けに!
(?)
■解答编
「本部栋」が正解でした。写真は、大学公园バス停からループ道路を北向きに撮影したものです。?
今では「筑波大学中央」バス停といえば本部栋のすぐ横のイメージ。しかし1978年当时は现在の「大学公园」バス停が「筑波大学中央」だったとは惊きです。?
枝垂れ桜は东京文理科大学时代から生きる桜が1975年に移植されて来たたもの。毎年春に目を楽しませてくれた人気の写真撮影スポットだったものの、衰弱し2020年8月に惜しまれつつ姿を消しました。在りし日の姿を写真でご覧ください。?
また、 2021年以降企業各社のご支援によりバス停のベンチが新調されていっています。?
「つくばノスタルジア」写真编、次回をお楽しみに!?
(?)





【つくばノスタルジア】ここはどこ?#04「平砂学生宿舎」
■问题编

筑波大学は10月に开学50年を迎えます。开学まもない1970年代に撮影されたキャンパス内の写真が出てきました。
この建物群、毎年つくばデビューする学生さん达を迎え入れ、沢山の思い出を与えてくれる场所です。
ヒント: 「住めば都」は、いまも昔も変わりません。
正解は来週に!
(??)
■解答编
「平砂学生宿舎」が正解でした。写真は、平砂生活センター(共用栋)から南向きに撮影したものです。土ぼこり舞う広场には、木と芝生が植えられ憩いの场所に。
地味なクリーム色だった宿舎の建物は、改修によりカラフルに涂り替えられました。各栋にシャワーが设置され、追越?一の矢の大浴场は现在役目を终えています。着替えを片手にツッカケ履きで共用栋へ向かう姿は今や平砂だけのものとなりました。
毎年5月の「やどかり祭」は、何もないところから自ら楽しみを作り出す学生さんたちの気概が生み出したもの。手作り神舆やゆかたのコンテストが大いに盛り上がります。携帯もインターネットもなかった时代、食堂あり、売店あり、大浴场あり「半径100m以内で生活の全てがほぼ完结」という、ユニークなコミュニティがそこにはありました。友人の部屋に游びに行って语り明かした夜は多くの卒业生にとって一生の思い出でしょう。
「つくばノスタルジア」写真编、次回をお楽しみに!
(??)

2023年

1974年

50年を経て、土ぼこり舞う広场は憩いの场所に。

大浴场から部屋への帰りに宅配便が受け取れるように。

令和×昭和。カラフルになった1号栋。引っ越しに大活跃のリヤカーは现役です。

毎年5月に开かれる宿舎祭「やどかり祭」。
创基151年筑波大学开学50周年を记念して、筑波大学の変迁を懐かしい写真で缀る「つくばノスタルジア」。今回は多くの新入生が青春を过ごした平砂学生宿舎。70年代の建设当时から、最新の国际交流型シェアハウス(グローバルヴィレッジ)まで。新しさと昭和の面影が同居するその様子を1分动画にまとめました。
「学生宿舎」について
/campuslife/support-healthlife/
(??)
【つくばノスタルジア】ここはどこ?#05「中央広场」
■问题编

筑波大学は10月に开学50年を迎えます。开学まもない1970年代に撮影されたキャンパス内の写真が出てきました。
ここは多くの人が见惯れた景色だと思います。でも、どこか违和感が。○○がない!?
ヒント:キャンパスで最も食事情が良いエリアかもしれません。
正解は来週に!
(??)
■解答编
「中央広场」が正解でした。第二?第叁エリアの间の池と喷水がある场所です。写真は、石の広场から北向きに撮影したものです。池と喷水は藻の発生を防ぐため最初から计画されていたそうですが、完成は1979年。その直前を捉えた贵重な写真でした。
施设部の资料によると、石の広场、芝生の斜面、流れの広场をあわせて「中央広场」と呼び、本学最大のシンボルスペースとして设计されたそうです。芝生の斜面は滝となる计画もあったとか。でも、友达とお弁当が食べられる芝生のままでよかったですね!
第二エリア食堂や叁学名店街と呼ばれる各种料理店、そしてパン屋。10年ほど前にはハラールフードの食堂もオープン。ランチのチョイスには困りません。双峰祭のステージは、现在石の広场に设置されますが、かつて池の上に「水上ステージ」が组まれていた时代もありました。
「つくばノスタルジア」写真编、次回をお楽しみに!
(??)

2022年

1978年

1978年。别の角度から。

コロナ祸前には、芝生はたくさんの学生さんたちの憩いの场でした。今年こそキャンパスに賑わいが戻りますように…!

喫茶部をぐるりと回廊が囲む造りだった「叁学名店街」は屋内化され席の数も快适性もアップ!

今やすっかり石の広場のシンボルとなった「Miserere XVII 1999」 は、筑波大学の前身、東京高等師範学校出身の著名な彫刻家?中村晋也氏によるという作品で、2008年6月に寄贈されました。同じ像がバチカン美術館にも収蔵されています。

池の先の「天の川」。なぜかこの场所が话题になったことも…。
【つくばノスタルジア】ここはどこ?#06「中央図书馆」
■问题编

筑波大学は10月に开学50年を迎えます。1980年代に撮影されたキャンパス内の写真が出てきました。
ガラス张りの明るい空间に、立派な円柱のあるこの场所。奥の皆さんは何をしているでしょう?
ヒント:课题や论文の执笔でお世话にならない人はいない场所です。
正解は新年度に!
(??)
■解答编
「中央図书馆」が正解でした。2阶エントランスホールの新闻閲覧コーナーを入馆ゲート侧から撮影したものでした。2008年、この场所に、大手コーヒーチェーン店が开业し、学生にも人気の憩いの空间になりました。
中央図书馆は、体育?芸术図书馆、医学図书馆に続いて、1979年10月に开馆しました。本学の附属図书馆は、中央図书馆に加え、図书馆情报学図书馆、大塚図书馆を含めた4つの専门図书馆で构成されています。约270万册という国内有数の蔵书数を夸り、开架式であることも本学の図书馆の大きな特徴です。
「つくばノスタルジア」写真编、次回をお楽しみに!
(??)

2008年、この场所に、大手コーヒーチェーン店が开业し、学生にも人気の憩いの空间になりました。

2阶エントランスホールの新闻閲覧コーナーを入馆ゲート侧から撮影したものでした。

中央図书馆といえばこの吹き抜け。4阶まで続く开放的な空间が印象的です。雑誌の书架とソファが情报端末に替わったところに时代を感じます。现在ここは「ラーニング?スクエア」と呼ばれ、ライティング支援やプレゼンテーションなどに関する各种セミナーが开かれることも。

现在、新闻閲覧コーナーは本馆から新馆2阶に向かう通路の手前にあります。

2011年3月11日の东日本大震灾発生时には、中央図书馆では蔵书の6割にあたる110万册が书架から落下しました。しかし、大学の「知の拠点」を1日でも早く元に戻そうと、教职员や学生さん延べ539人の復旧ボランティアの皆さんが协力してくださり、约2か月で全サービスを再开することができました。

ラーニング?スクエアには「学生サポートデスク」が設置され、 「ラーニング?アドバイザー」と呼ばれる大学院生の先輩たちがレポートや論文の書き方、図書館の活用方法等をアドバイスしてくれます。アカデミックスキルの向上に役立つ書籍も配架されています。

図书馆はただ调べものをするだけの场ではなく、学びのプラットフォームです。学生さんが集まって、様々な情报资源から得られる情报を用いて议论を进めていく「场」を提供することも大学図书馆の重要な役割となっています。

ところで、筑波大学附属図书馆には「がまじゃんぱー」くんという、とてもかわいいキャラクターがいます。
卒業式や雙峰祭など、イベントの時に時々現れますので、見かけたら是非一緒に写真を撮ってあげてくださいね。附属図書館のTwitter @tsukubauniv_lib をフォローしておくと出没情報がわかるかも…?
【つくばノスタルジア】ここはどこ?#07「追越学生宿舎」
■问题编

筑波大学は10月に开学50年を迎えます。开学まもない1970年代に撮影されたキャンパス内の写真が出てきました。
ノコギリ状の建物が并ぶ一帯。どこから见たどのエリアの写真でしょう?
ヒント:教室までは远いけど、市の中心部には近い。
正解は来週に!
(??)
■解答编
「追越学生宿舎」が正解でした。「松见公园展望塔(通称?栓抜き塔)」から撮ったものです。新歓のお花见で活跃する宿舎东侧の桜并木も、手前のメディカルセンターもまだなく、もともとあったアカマツ林が目立ちます。
なお、栓抜き塔があるのが「松见池」、第一エリアに面しているのが「松美池」ですので、お间违いなく!
「つくばノスタルジア」写真编、次回をお楽しみに!
(??)

2023年

1976年

松见公园展望塔と、4月にはお花见が楽しめる桜并木。谁が名付けたのか、この形を见れば「栓抜き塔」の通り名にも纳得です。

松见公园展望塔の竣工は1976年。この写真はその直后に撮影されたもののようです。南侧に目を移すとペデが桥を越えたところで水たまりに突入。1979年に开学する図书馆情报大学(现筑波大学春日エリア)も、1983年に竣工するつくばセンタービルもまだありません。

2023年现在の写真には、右の方に春日エリアの一部に建てられたグローバルゲストハウス、つくばエキスポセンターや筑波学院大学(旧东京家政短大)などが写っています。
1976年に制定された学生歌「常陸野の」に唄われるように「常陸野の原野を拓き 真白なる塔そびえたり 」という風景がそのとおりだったことがよくわかります。
/about/public-branding/studentsong/
【つくばノスタルジア】ここはどこ?#08「一の矢学生宿舎」
■问题编

筑波大学は10月に开学50年を迎えます。1980年代に撮影されたキャンパス内の写真が出てきました。
80年代にもまだ真新しいこのエリア。この写真の场所はどこでしょう?
ヒント:池のほとり
正解は来週に!
(??)
■解答编
「一の矢学生宿舎」が正解でした。この建物は兵太郎池に面した一の矢34号栋です。「一の矢」の地名は千年以上前に创建した「一の矢八坂神社」に由来します。农作物を荒らすカラスを退治するために弓の名手が集められ、放たれた1本目の矢が落ちた场所が「一の矢」なのだとか。详しい伝承は神社を访れ石碑を読んでみてくださいね。
「つくばノスタルジア」写真编、次回をお楽しみに!
(??)

2023年

1987年

「一の矢」の由来となった一の矢八坂神社

兵太郎池に面するいくつかの栋は主に短期留学生向けに使われて来ました。2016年、改修を経て「ショートステイハウス」としてリニューアされ、フライトの関係で宿舎事务所の営业时间外に到着しても入居ができるよう改善されました。

実は一の矢36号栋の里手にひっそりと「飞び石」があり、対岸まで渡れます。谁が设计したのかこのギミック。游び心が伺えますね。渡る时は十分気をつけて池に落ちないようにしてくださいね。

一の矢宿舎エリアから东大通を渡ったところに马场があるのをご存じでしょうか?马术部の部史によれば马场が完成したのは1985年。しかし1978年には前身団体が活动を开始していたという、実は歴史ある部です。
【つくばノスタルジア】ここはどこ?#09「体育合宿所」
■问题编

筑波大学は10月に开学50年を迎えます。开学まもない1970年代に撮影されたキャンパス内の写真が出てきました。
この写真の建物はどこでしょう?
ヒント:この屋根、见たことがあるようなないような…。
正解は来週に!
(??)
■解答编
「体育合宿所」が正解でした。第一サッカー场とハンドボール场の间にあり、写真は竞技场エリアを东西に贯くペデ上から北向きに撮影したものです。今では目立たないこの建物。开学の年前后に重要な役割を果たしました。
「つくばノスタルジア」写真编、次回をお楽しみに!
(??)

2023年

1974年

叁笘薫选手、安藤梢选手など世界に冠たるサッカー选手たちを育んできた第一サッカー场。今年3月に人工芝と照明设备がクラウドファンディングにより改修され、圣地「イチグラ」が生まれ変わりました。

1973年の开学当初、筑波キャンパスは体育グラウンドと合宿所から始まりました。真新しい「筑波大学」の看板がここに掲げられました。东京教育大学の一角にあった「筑波大学创设準备室」から移って来た事务の先辈方は翌年から学生さんたちを受け入れるため、文部省への设置审査の书类作りで彻夜続きだったといいます。

1974年。体芸栋から合宿所を望む。テニスコート左のプレハブ群が当初本部栋机能を担った仮庁舎。この时代、昼间はキャンパス建设のためのブルドーザーの轰音が响き、夜には信じられないような静寂が访れたそうです。
【つくばノスタルジア】ここはどこ?#10「(情报処理)実习室」
■问题编

筑波大学は10月に开学50年を迎えます。开学まもない1970年代に撮影されたキャンパス内の写真が出てきました。
レトロフューチャーなマシンが并ぶこの部屋。この场所はどこでしょう?
ヒント:贵翱搁罢搁础狈
正解は来週に!
(??)
■解答编
「(情报処理)実习室」が正解でした。この场所の特定は困难を极めました。情报系の职员から当时在学していた先生方をも巻き込んでの大捜索の结果、体芸栋1阶の5颁108(旧54-础01)会议室と特定されました。筑波大学は开学当初から理系文系を问わず共通科目「情报処理」を必修とする先进的なカリキュラムを採用していました。
「つくばノスタルジア」写真编、次回をお楽しみに!
(??)

2023年。5颁108会议室。

1975年。校舎が体芸栋しか无かった时代。しかし「情报処理」は必修。実习は场所を転々としながら行われていました。当时の开设授业科目一覧によると翌年には実习は1颁栋で行われています。この写真はこの年にだけ撮れた贵重な写真と言えます。

1977年、计算机センター(现在の学术情报メディアセンター)の利用が开始されました。ペデから见て外国语センター(现颁贰骋尝翱颁)の西侧奥、大学会馆バス停の近くにあります。

2023年の学术情报メディアセンターの実习室。笔颁のリプレースが终わったばかりでピカピカです。今では学内16ヶ所にサテライト室(実习室)があります。开学当初の端末の何百万倍の性能を持つスマートフォンを谁もが持ち歩く时代が来るとは谁が想像したでしょう。
【つくばノスタルジア】ここはどこ?#11「1贰栋(第一エリア)」
■问题编

筑波大学は10月に开学50年を迎えます。开学まもない1970年代に撮影されたキャンパス内の写真が出てきました。
この建物の名前、またはこのエリアの名前は何でしょう?
ヒント:大気
正解は来週に!
(??)
■解答编
【つくばノスタルジア】ここはどこ?#11(解答编)
「1贰栋」または「第一エリア」が正解でした。みんな大好き「大気」像のうしろあたりです。
「つくばノスタルジア」写真编、次回をお楽しみに!
(??)

2023年。

1975年。

「大気」像は、長崎の平和祈念像の制作にも携わった晝間 弘(ひるま ひろし)氏の作品。進むべき先を指し示すかのような力強さを持つこの像が設置されたのは2004年。IMAGINE THE FUTURE.よりも10年遡ります。しかし最初に制作されたのは1964年と筑波大学より年上でした。

今では各栋ごとにカラフルに色分けされている第一エリアですが、开学から30年近くグレー一色でした。昔の卒业生にとってはこちらの色の方が懐かしいのではないでしょうか。

2007年、それまで本部栋にあった学生支援や就职支援を担う组织が、学生さんたちがアクセスしやすい中心部に集められ「スチューデントプラザ」が诞生しました。翌年には学生さんの「やってみたい」を応援する罢-础颁罢も活动を开始します。

さらに2021年、学生生活支援や悩みを相谈できる部门に国际交流部门も统合され、「スチューデントサポートセンター」が発足しました。第一エリアはますます「学生さんが頼れる场所」となっていきます。
【つくばノスタルジア】ここはどこ?#12「大学会馆」
■问题编

筑波大学は10月に开学50年を迎えます。开学まもない1970年代に撮影されたキャンパス内の写真が出てきました。
远くにまだ工事中のエリアが写っています。この写真はどこから见た何でしょう?
ヒント:嘉纳治五郎先生之像
正解は来週に!
(??)
■解答编
「1颁栋」から见た「大学会馆」が正解でした。体芸栋の次にできたのは大学会馆を飞ばして第一エリアだったんですね。
「つくばノスタルジア」写真编、次回をお楽しみに!
(??)

2023年。

1976年。右の阶段に佇む二人は今どうしているのでしょう。

大学会馆前に建つギリシャ?オーダーの石柱は东京日本桥にあった村井银行の正面を饰っていたもの。ビル建て替えの际に美しいコリント式の柱を残したいと筑波大学に寄赠されたそうです。実は半円柱が2つ合わさって1本になっています。

今や入学式や卒业式の人気记念写真撮影スポットなっている嘉纳治五郎先生像がこの地に建てられたのは2010年。朝仓文夫氏による威风堂々とした晩年の嘉纳先生の像は、ここのほか现存する像は东京キャンパスの占春苑や讲道馆前など全国5か所にあります。

大学会馆叠栋には书籍部や邮便局、画材店など、何かとお世话になる店舗が并んでいます。邮便局前には东京2020オリンピックでの永瀬贵规选手(体育専门学群卒业)の金メダル获得を记念して「ゴールドポスト」が设置されています。来学の际は是非见てみてくださいね。
【つくばノスタルジア】ここはどこ?#13「陆上竞技场」
■问题编



筑波大学は10月に开学50年を迎えます。开学前后の1970年代に撮影されたキャンパス内の写真が出てきました。
この写真はどこでしょう?
ヒント:ここからオリンピックに出场した选手も。
正解は来週に!
(?)
■解答编
「陆上竞技场」が正解でした。サッカーグラウンドとループ道路を渡るペデの间から西を见た写真です。开学前后に近隣町村の団体が见学にいらした时の様子です。
老朽化が心配された陆上竞技场でしたが、2023年、无事改修されました。ご寄附いただいた皆さん、ありがとうございました!
「つくばノスタルジア」写真编、次回をお楽しみに!
(??)

2023年。
筑波大学が辈出したオリンピックメダリスト133名の一覧をこちらでご覧いただけます。

2023年。
ループ道路を渡った后、200尘のスタート地点付近の土手から、西方向を撮影したものです。

2023年。
ループ道路沿いの土手から北を望んだ写真です。
【つくばノスタルジア】ここはどこ?#14「平砂1号栋から北を撮った写真」
■问题编

筑波大学は10月に开学50年を迎えます。开学直后の1974年に撮影された「伝説の写真」を一期生の渡部史人氏からご提供いただきました。この写真はどこから见たどちらの方角でしょう?
ヒント:雨が降ったら長靴で カンカン日が照りゃ砂埃?
正解は来週に!
(??)
■解答编
「平砂1号栋から北を撮った写真」が正解でした。
いよいよ今週末は开学50周年记念式典とイベント。皆様のご来场?ご视聴を心からお待ちしています!
https://50th.projects.tsukuba.ac.jp/ceremony/
(??)

2023年。木々が生い茂り緑一色。目印は土管だけです。

1974年。よく见るとズボンの裾をまくって登校している先辈方も。ヒントの「やどかり音头」の歌词にも纳得がいきます。いつの时も私たちは未来を想い拓く开拓者でした。そしてこれからも。

2023年。平砂1号栋が12阶建てくらいだったら、こんな风に総合研究栋顿越しに5颁栋(体芸栋)と筑波山が见えたことでしょう。

1974年。通学路の写真が残っていました。

2023年。ここにスーパーとコーヒー店ができるとは谁が想像したでしょう。

1975年。体芸栋は完成したものの、平砂からの通学路はまだ泥道だったようです。

2023年。ペデが整备され、もっと人工物が写るかと思い屋上に登ってみたら、期せずして「大学なのか森なのか」を物语る写真が撮れてしまいました。
【つくばノスタルジア】ここはどこ?(谢辞)

筑波大学は10月1日、开学50周年を迎えます。
これまで「つくばノスタルジア」で绍介させていただいた写真の多くは、自然学类一期生の斎藤実氏が2014年に开催された「第一期生の集い」の际に広报室に提供してくださったものをベースに构成させていただきました。
改めまして、斎藤氏、渡部氏、元企画となるEveryday Tsukuba Projectの立案者?古畑翼氏、写真を提供してくださったつくば市、中央図書館、その他皆さんのご協力に感謝いたします。
今週末はいよいよ记念式典と记念イベントです!
是非、绍介した场所の”今”を访ねに来てください。
https://50th.projects.tsukuba.ac.jp/ceremony/
(??)
【つくばノスタルジア】つくば駅南北自由通路を50周年で埋め尽くす「ポスタージャック」を开始!


つくば駅改札前の南北自由通路を创基151年筑波大学开学50周年関连ポスターで埋め尽くす「ポスタージャック」企画を开始しました!
記念式典や記念イベントのお知らせのほか、これまでFacebookや齿(旧罢飞颈迟迟别谤)等で展開して来た、筑波大学の過去と現在を比較紹介する企画「つくばノスタルジア」のポスター版も掲示しています。つくば駅をお訪ねの際は是非足を止めてお楽しみください。
〇详细はこちら
https://50th.projects.tsukuba.ac.jp/news/20230906194900/
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学食物语
【つくばノスタルジア】学食物语 #01「新旧カツ弁」

筑波大学は来年、開学50年を迎えます。学生生活を支える“学食”にまつわるエピソードをご紹介していきます。 今日の懐かしい写真は、通称2食(第2エリア食堂)の「カツ弁」です。
“ソースがしっとり染みた衣と真っ白なご饭の一体感”に、ハマる人が続出したロングセラーメニューながら、10年ほど前に一旦姿を消しました。しかし、今年初めリニューアルした「ソースカツ弁」が再登场!ソースはやや控えめ、おかずも付いて彩り豊かになりました。开学50周年を迎え学食の味も変化しています。
みなさんの思い出の学食の味は何ですか?
(?)
【つくばノスタルジア】学食物语 #02「鶏めし」

今年开学50周年を迎える筑波大学。今回ご绍介するのは、学内の食堂で最も歴史あるお弁当のひとつ「鶏めし」です。
甘いタレと桜デンブが特徴。柔らかい铭柄の鶏肉や地场产のお米を使うなど、安全性と安さにこだわる“2食(第2エリア食堂)”ならではの昔ながらの味。未だ300円台で买える学生の味方です。
大学食堂の変わらない味と変わる味。次回は大きく変わった喫茶部の味をご绍介します!
(??)
【つくばノスタルジア】学食物语 #02.5「サラダとりめし」

2食の鶏めしに寄せられた多くの反响を受け、最近登场した「サラダとりめし」をご绍介します。従来の「鶏めし」に野菜が加わり小鉢を足さなくても、よりヘルシーに。
暗算が早いレジのスタッフに触れた方もいました。年代によって「暗算お姉さん」とも「公文おばさん」とも呼ばれていたようです。既に退职されていますが、御年90歳近いそうです。
(??)