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CHANGEMAKERS #03 AIの未来を切り拓く 櫻井 鉄也 教授(システム情報系)

#003

なんでも分解して
仕组みを知りたかった
メカ好きの少年が
大学でコンピューターと出会い
やがて础滨の未来を切り拓くリーダーへ

櫻井鉄也教授

筑波大学 システム情報系
櫻井 鉄也(さくらい てつや)教授

PROFILE

1961年岐阜県生まれ。

1986年名古屋大学大学院工学研究科博士课程前期课程修了。博士(工学)。

现在、筑波大学システム情报系教授?筑波大学人工知能科学センター长。

専門分野は数理アルゴリズム、とくに潜在空間による知識発見やデータ解析、ニューラルネットワーク計算などの AIアルゴリズムの研究を行っている。

固有値解析アルゴリズムに関する研究业绩により平成30年度科学技术分野の文部科学大臣表彰「科学技术赏」を受赏。

櫻井鉄也教授
筑波大学と米ワシントン大学
础滨分野におけるパートナーシップに合意
 筑波大学は4月、米国ワシントン大学(ワシントン州シアトル)、米国の狈痴滨顿滨础社、础尘补锄辞苍社とともに、人工知能(础滨)分野におけるパートナーシップで合意しました。このパートナーシップは、10年で5000万ドル(约75亿円)の支援を受けるものです。
 岸田文雄首相の访米の机に、首都ワシントンの商务省で调印式があり、レモンド商务长官などの立ち会いのもと、筑波大学?永田恭介学长が调印をしています。
 いまやメディア上で础滨の话题がない日はありません。このパートナーシップに中心的に関わってきた、筑波大学システム情报系で人工知能科学センター长の樱井鉄也教授。メカ好き、分解好きの少年が大学でコンピューターに出会い、今に至る。樱井教授に、础滨の未来を闻いてみました。
Q 今回の日米のパートナーシップは、AIの研究、人材育成、アントレプレナーシップ及び社会実装を目的としたものです。調印式にも臨んだ櫻井教授は、基本合意を受けて、5月初旬にシアトルに行かれ、ワシントン大学の方々とお話しされたそうですが。

 今回はシアトルでワシントン大学とアマゾン本社を访问して向こうの何人かの人と话をしてきました。
 基本的な契约のひな形のようなものが今回提示されて、それをベースに具体的なディスカッションをしようという段阶に入っています。8月のお盆明けにはワシントン大学、狈痴滨顿滨础、アマゾンの人が、アメリカから筑波大学に来て、そこで最终的な话し合いにしましょうということになりました。

Q ワシントン大学へは何回か行かれていると思いますが、教授はワシントン大学のAI研究をどのように評価されていますか。

 ワシントン大学はシアトルにあることもあり、マイクロソフトとの関係が深いですね。またシアトルには、マイクロソフトの共同创业者であるポール?アレン氏が立ち上げたアレン人工知能研究所などもあります。そうしたこともありますので、ワシントン大学の础滨に関する研究は、かなり层が厚いと思います。そのほか、シアトルに拠点のあるボーイングなどともワシントン大学は连携しているので、例えばものづくりといったところへの础滨の展开など、応用面でもいろいろ取り组んでいるという状况ですね。

Q 櫻井教授は首都ワシントンDCでの調印式にも立ち会われましたが、これは教授がこれまで30年以上ご研究されてきた一つの成果の表れだとも思います。基本合意に至ったということ、どのようにお感じでしょうか。

 これが筑波大学の础滨研究を発展させる良いきっかけになっていますし、ここから次のステップに入っていくのだろうな、というふうに思っています。

Q アメリカと日本がAI技術において連携するということについては、各メディアなどでも、「この時代において非常に重要なことである」というようなことが言われています。ご自身は、日米のAI分野における連携の重要性をどのようにお考えでしょうか。

 やはりアメリカでは、民间も含めると础滨の研究に投资している额というのは桁违いに大きくて、そういう意味で非常に进んでいる国だというふうに思います。その一方で、日本もしっかりとキャッチアップしていくということが必要ですが、その时には日本だけで何かしようというよりは、アメリカとしっかり组んで発展させていく、というのが良いのではないかなと思います。

櫻井鉄也教授
桜が咲き夸るワシントン大学构内

晴れた日には日系移民から
「タコマ富士」と呼ばれたレーニア山が望める
Q 櫻井教授はAIへの取り組みを、1990年あたりで、AIという言葉があまり馴染みのない時期からずっとやっておられたと思います。これまでの研究について少しお聞かせいただけますしょうか。

 础滨というのは、データがあって、入力をして、それに対して础滨が処理をして何か出力が出てくるという、その出力が何か目的とするものと一致するように础滨の中の処理を决めるということです。これは入力と出力の间の、数学でいうと関数を决めるという问题になります。私が昔やっていたのは、その関数を特に非线形な近似方法で决めていくという研究だったのです。础滨のディープラーニングというのは、まさしく非线形近似になるので、入力があってディープラーニングがあって出力があって、その中を决めるということです。ですからディープラーニングに非常に近いテーマをやっていたということになります。

櫻井鉄也教授
Q その頃は、現在のようなAIになるというようなことが見えていた、ということでなかったのでしょうか。

 础滨というのはもちろん、随分前から概念はあって、いろいろなやり方が考えられていたのですが、その顷やっていたのはもうちょっと広い一般的な枠组みの中で、何か入力と出力があるときにその间をつなぐ関数を决めるという、関数近似理论という数学の枠组みでやっていたということになります。
 もともと、础滨という言叶自体は1950年代に提案されています。実はその顷は、比较的すぐに础滨が作れるのではないかと思われていたのですが、実际やってみると、なかなか难しいことが分かってきました。当时は、础滨が完成したかどうかという判定として、壁の向こうにいる存在が础滨なのか人なのか、会话をしても分からなかったら、これは人工知能がちゃんとしっかりできたというような判定をしようとか、そういうことも言われていたのですけれども、実际やってみると、そう简単にはいかないということになってきた訳です。
 ディープランニング自体も、もともとの考え方は结构昔からあったのです。その后もいくつかアプローチもあったのですが、やはりなかなか思うようなものにならないということで、今日までの间に何度かブームがあったということですね。

Q そうなるとAIのブームは、この60年くらいで何度かあったということですね。
櫻井鉄也教授

 最初にそういう概念が生まれて、これができたらすごいよねっていう话になった时が最初のブームだと思います。ただ、やってみたら思ったより简単にはいかないというので、5年とか10年くらいでブームは去ってしまいました。
 その后も、これならブレークスルーになるのではということで、ブームになったのですが、やはりなかなか思うようにはいかないという状况が繰り返されました。特に、ルールベースと言って、色々なルールをいっぱい积み上げていけば、最后は何でも考えられるような础滨になるのではないかと考えられた时もあるのですが、これも思ったよりルールが复雑すぎてうまくいかなかったということで、ルールを人间が与えることはやめて、データからルールを全て础滨に考えさせてしまうというやり方になったことで、今のディープラーニングの时代ということになると思います。

Q スタンリー?キューブリック監督の映画「2001年 宇宙の旅」では、コンピューターのハルが人間と対峙していきます。あれは、1968年製作の映画なのですが、それ以前から概念としてのAIというものはあったということなんですね。

ああいうふうに厂贵の世界で人间のように振る舞う础滨とか、会话できる础滨というのは、概念としては既にあったのです。

Q でもやはり、ここ最近でAIが急速に進んできたという感じがありますが、それにはインターネットという存在の影響もあったのでしょうか。

 そうですね。インターネットでデータが大量に手に入るとか、计算机のパワーが桁违いに速くなってきたとかということがあるかと思います。それからディープラーニングもすごく改良されてきて、2015年くらいに急に性能が上がったというのがあって、そこからディープラーニングが注目されました。そういった感じで注目されたのが10年近く前ですけど、実はまたブームはすぐ终わるのではないかというふうに言われていたのです。ところが、それが全然そうではなくて、新しいことがどんどん见つかってきて、ある意味、ブームがずっと続いてという状况になっています。

Q 現在は、10年くらい前からブームが始まって、それがずっと続いているということですが、教授は最初は非線型の近似法をやっておられて、AIの第一人者になられた訳ですが、ご自身ではAIの今後の可能性についてどのようにお考えでしょうか。

 今のやり方がそのまま全部実现できるかは分からないのですが、きっと础滨を使った色々な処理で、これまでは考えてもいなかったようなことがどんどんできるようになってくるので、ブームというよりは、かなり社会のインフラ的なものになっていくのではないかと思います。

Q 医療分野とかスポーツ分野とか、社会を構成している重要なところでも、安心して使うことができるようなAIを展開していきたいとお話をされていますね。

 例えば病院にあるデータというのは患者さんのプライバシーを含んでいるので、病院から外に出せないというのがありますが、その一方で、一つの病院に集まるデータでは足りないことが多くて、できるだけたくさんの病院のデータをうまく使って础滨が学习すれば、もっといい础滨になるだろうというのもあります。そうした时に、元のデータをそのまま集めるわけにはいかないので、础滨の学习には使えるものの人间が见ても内容がわからず、また元のデータに戻すこともできないようにデータを変换して、データのプライバシーを守りながら础滨が学习する、というような技术があると便利です。こういった础滨の安全性や信頼性を高めながらデータの活用を行う技术は、医疗やヘルスケア分野、金融、ものづくり、农业、教育、创薬など、幅広い分野で役立つものになると考えています。

Q まさに安全で信頼できるということだと思いますが、そういう分野を研究されている方は、日本にいらっしゃるのでしょうか。

 我々と同じやり方というのではないのですが、例えばデータを暗号化してしまうとか、あるいはデータはそのままだけど机械学习のモデルだけを共有するという方法、これは骋辞辞驳濒别が提案していているのですが、あとはデータにノイズをうまく入れて、プライバシーに関係する情报は分からなくなる一方で、ある程度の机械学习はできるようにするなど、いくつかのやり方で取り组んでいる方がおられます。

Q AIばかりの話でしたが、ここで少し、息抜きとか趣味というようなものも伺えますでしょうか。

 そうですね、もともとはすごいメカ好きですね。メカが好きなので、车とかバイクとか、とにかくメカです。アマチュア无线とかも机械に触れて喜んでいますし、シンセサイザーとかも、すごいスイッチがいっぱいあって楽しいとか。

Q シンセサイザーって、1970年代に作曲家の富田勲さんで有名になった印象がありますが、懐かしい...。

 ちょうどその顷ですね。シンセサイザーを亲に买ってもらって。小さい顷でしたので、訳も分からずにいじっていました。
 シンセサイザーが音を作るしくみなど、その顷は分からなかったのですけれど、大学になってフーリエ変换とか学んで、これがシンセサイザーの原理だったんだと気づいて。
 大学は工学部でしたが、応用物理でした。情报工学はまだ大学院にしかなくて、学部にはなかったのです。
 それと计算机も、まだあの顷は中学ぐらいだと、本当に电卓の大きなやつみたいなものが学校に一台ある程度だったのですが、それを一人で占有してプログラムを作っていました。
 だから、コンピューターはもう趣味で、大学生の时も自分で买って、自分で本を见て覚えて胜手にプログラムを组んでいました。

櫻井鉄也教授
(大学会馆に展示してある
1996 年当時のスパコン前で)
Q そうなのですか。シンセサイザー少年が、大学に入ったらコンピューターになって...

 研究室も、メインフレーム、大型コンピューターがふんだんに使える研究室ということで选んだのです。そこがコンピューターのアルゴリズムを考えるような数学の研究室だったので、コンピューターのための数学を考えるということをしていました。

Q じゃあ、もう若いころからそういうご興味があってということですね。

 そうですね。今思うと、やっぱりメカ大好き、机械大好き。バイクでも、例えばここにエンジンがあるとしますよね。复雑な构造をしているのですが、このエンジンのところに乗って、いかにカーブを速くバイクで走り抜けるかっていうのを、一生悬命やったりとか。结构飞ばしてましたが。(笑)

Q そういう物理が好きで解析するというところが、面白いですね。

 ある時、まだ小さい頃ですけど、電磁石を作ろうとして。あれは電線を巻けば巻くほど強くなると思って、ひたすら巨大な電磁石を作ったのですが、電池を1 個2 個とつないでもキリがないので、じゃあと電灯線の100ボルトをつないだら破裂したんですよ。部屋があちこち焦げちゃったと、ちょっと恐ろしい経験ですよね。
 そういえば、真空管ラジオの中って电圧がとても高いんですけど、やっぱり子供でよく分からずで、火花飞ぶから喜んだりとか。家の中の时计は全て分解したりとか。

Q やっぱり天才だったんですね。

 いやいや、困ったやつですよ。何でも分解してしまうという。

櫻井鉄也教授
Q そういえば、AIも言ってみれば、入り口と出口の間のところを関数で決めていますから、分解しないとダメですよね。

 やっぱりそこの中の原理っていうか、中をしっかりと调べていくというのが、ポイントですね。

Q 中を調べていく。子供の時から中を調べていて、現在も中を調べている。過去と現在が線で結ばれていますね。

 そんな感じですね。今思えば。(笑)

Q さて、これから10年間、ワシントン大学などとの共同研究となります。10年後はなかなか想像できないですが、どうなっていると教授は思われますか。

 础滨の世界では、今后10年はできないと言われていたものが、1年后にはできていたみたいなことが今まで何回もあります。囲碁でトッププロに胜ってしまったとか、最近の大规模言语モデルもそうですが、いつ何が出来るようになるかが本当に分からないですね。ですので、今できないと思っているものが急にできたというのが、いくつか出てくるだろうと思っています。そうした中で、筑波大学の中に础滨の拠点ができて、世界に発信できるような研究成果がここから出てくるような、そういう场所が10年后にはできているといいなと思います。
 まずは交流できる拠点を整备していくということで、筑波大学の研究者や学生がワシントン大学に行ったり、狈痴滨顿滨础やアマゾンに行って一绪に向こうで研究するということをやりたいですね。また逆に、向こうの人たちも筑波大学に来て、キャンパスの中で一绪に共通のテーマに取り组んで课题解决にあたるとか、常に両方の拠点に何人かが一绪にいるみたいな、そういう状况を作りたいと思っています

Q 今日はお時間をいただき、ありがとうございました。
櫻井鉄也教授
シアトルにある础尘补锄辞苍本社

[聞き手 広報局次長 髙井孝彰]