CHANGEMAKERS #02すべての興味が共鳴する 藤井 清美 さん
あらゆる学问を网罗する大学だからこそ、
あなたを魅了する授业があり、
広大なキャンパスの中には、
兴味が共鸣する相手がいます。

脚本家?演出家?小説家
藤井 清美(ふじい きよみ)さん
PROFILE
徳岛県で育つ。
徳岛県立城南高校时代、演剧部に所属。
全国高等学校演剧大会徳岛県大会で2年连続创作脚本赏を受赏し、演剧の道を志す。
1990年、筑波大学第一学群人文学类に入学。オリエント?ヨーロッパ史コースでヨーロッパ史を専攻。
卒业论文のタイトルは「イギリス王政復古期の女优について」。
在学中に剧団青年座文芸部に入団。
大学卒业后は本格的に演剧活动に励み、剧団内外を问わず多くの演出家の演出助手として活跃する。
2000年、日本テレビシナリオ登龙门で优秀赏を受赏し、以后、映像の世界にも进出。
剧作家、演出家として小剧场から大剧场での公演まで経験したあと、剧団を退団し、现在は、舞台の作?演出、映像の脚本、小説执笔などを中心に活动する。
また、2022年から、身体的、知的に障害を持つ俳优志望者に対する演技レッスンも行う。
主な作品
舞台:『流星の音色』(脚本)、『行先不明』(作?演出)他
映画:『るろうに剣心』シリーズ、『鳩の撃退法』他
ドラマ:『准教授?高槻彰良の推察 厂别补蝉辞苍1,2』『おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!』他
小説:『#ある朝杀人犯になっていた』『京大はんと甘いもん』『わたしにも、スターが杀せる』他
筑波大学の卒业生で、テレビや映画の脚本や舞台演出、また小説家としても活跃されているのが藤井清美さんです。藤井さんは今、障害のある方々が俳优として活跃するための演技指导にも取り组まれています。
藤井さんは2024年2月19日と20日に、自らの取り组みへのアドバイスを求めるため、本学を访问されました。筑波大学人间系には「障害科学域」があり、様々な研究と知见が蓄积されています。30年ぶりの母校访问の印象、筑波大学で学んだことの意味、现在の活动などのお话しをうかがいました。
予想はしていましたけれど、つくばの街自体が大きく変わっていましたので惊きました。大学内で言いますと、私が主に通っていた第一学群あたりはそんなに印象として変わっていなかったですが、寮が建て替えに向けて一部闭锁されていたり、新しい建物があったり、あの一帯の光景はまるで违っていて、それには軽くショックは受けました。

中央図书馆の、今はスタバがあるところは、私たちの顷は新闻各纸が置いてあって閲覧できたので、待ち合わせ场所として使っていました。当时は携帯がなかったので、授业が终わった后、どこかに行こう、何かしようという时には、「あそこで待ってる」と言って、早く着いた人から新闻を読みながら时间をつぶして、合流して出かけたりしていましたね。
中央図书馆で思い出深いのは、1年间に100本の剧曲を読もうチャレンジというのを一人でやったことです。大学时代は将来のことが不安で、卒业后は演剧の道に进みたいという気持ちはあったのですけど、やっていけるのだろうかとか、若いですからいろいろ悩みますので。その时に、なかなか人がやらないことをやってみたら、「少なくとも私は1年に100本戯曲読んだ」って、ちょっと心の支えになるかなと思って。あの时、あの図书馆があったので非常に助かったんですよね。古典もあるし、最新の演剧の雑誌もあって。そういう点でも思い出深い场所でしたね。

平砂5 号棟に大学1 年の時に住んでいまして。ただ正直、入寮の時にドアを開けた瞬間、狭さにちょっと愕然としちゃって。あと、床が当時P タイルみたいなもので、みんな、そこに自分で買ったカーペット敷いて暮らすのですけど、いて暮らすのですけど、P タイルがちょっと剥がれていたところもあったりして私、ここでやっていけるかなって(笑)。
全体的なことから申しますと、大学に入った当初は、演剧を仕事にしたいという思いだけで、それこそ出る侧になりたいと思ったこともあったのですけど、大学の在学中に脚本家になろうと决めました。4年生になる时に剧団青年座の文芸部というところ、脚本家とか演出家がいる部署ですが、そこに入りました。その后は、剧団内外関わらず、いろんな経験を积ませていただいて、今は、テレビや映画、舞台に関わらず脚本を书くことと、舞台の演出と小説を书いたりもしているのですけれども。
何十年も演剧の仕事をする中で何度も俳优养成に関わる机会がありまして。それに関しては私としても结构热心にやったつもりですし、幸い生徒の中には长年慕ってくれるような人もいるのですけれども、脚本や演出の仕事が忙しくて、教える方は、そんなに継続してできなかったんです。教えるスキルはあるのだけど、なかなか时间が取れないという状况だったときに、身体的に障害がある方、知的に障害がある方にレッスンをする场があるということを闻きました。何十年も自分の好きな仕事をさせてもらって、人に教えられるくらいの知识もあるのだから、恩返しというとおこがましいですが、教えることが変わっていく世の中で役に立つならやらせていただこうと思って始めたという感じです。



そうですね。特に、知的障害がある人たちに関するレッスンなのですけれども、単纯に会话をするということを一つとってみても、私が今まで持ってきた常识だけでは通用しないことがあるのです。でも通用しないということが、私は兴味深いと思っています。「こういう言い方をした方がわかってもらえるんだな」とか、「こういう言い方をしたので误解が生まれたのか」、と一つずつ経験を分析するのが面白い。
それに、演技をするって、文字が読めるだけでもいけない、感情が理解できなきゃいけない、しかもそれを演出家のオーダーに従って决まり事は决まり事でやらなきゃいけない、それでいてオリジナリティを発挥するみたいな、いろんなことをやってもらわなきゃいけないので、それをどういうふうにすれば引き出していけるかなとか。この人が持っている発想とか、この人が理解しやすいことと、やらなければいけないことをどう结びつければいいかな、ということを考えるのが非常に楽しいという感じですね。

私が今やっていることをより深めるにはどうすればいいかヒントをいただきたかったですし、かつ、やり方として间违っていますよということであれば、间违っていますよと指摘していただきたかったのです。间违った指导をすることで、生徒を苦しめてしまう可能性があるので。もっと言えば、専门家の力を借りることで系统だって今やっていることを整理することができたら、私が教えるだけじゃなくて、そのノウハウを使って他の方が指导していくような时に役に立つかもしれないと考えているのもあります。
今回3 人の先生にお会いしたのですが、それぞれのご専門から、障害のある人が演劇というものに取り組むことの意義であるとか、意味であるとかを教えてくださったので、非常に興味深かったです。
例えばある先生からは、支援学校卒業後の、18歳以上の障害者の方が、生き甲斐というか、喜びとかを持つ場というのが少なく
なってしまうということを伺いました。そうした中で、俳優になりたいとか、テレビに出たいドラマに出たいとか、何かを努力するということは非常に意義があるのではないかとおっしゃっていただいて、とても嬉しかったです。


専门ではない私の印象に过ぎませんので间违いがあるかもしれませんが、障害の研究をなさっている方は他の大学にももちろんいらっしゃるのですけれども、筑波大学には付属の特别支援学校があることが大きいと思います。学问の场と実践の场が近いというのは、重要なことだと思います。
また、学类数が多いことで、大学内に様々な専门を持つ研究者がいらっしゃる。障害がある人と言っても特别な存在ではなくて、社会の中で暮らしているわけですから、経済にも政治にも関わるし、文化にも関係する。ご専门以外の视点から问题を见つめたいときに、同じ大学内に様々な専门家がいらっしゃるというのは、発展的に物事を考える际にとても羡ましい环境だなと感じました。

私も、日常的に车いすを使っている车いすユーザーの人とここまで関わりがなかったら、この研究の意味をそんなに理解できなかったかもしれないと思います。私が教えている中に、车いすの人向けに作られた住宅ではなくて普通のマンションで一人暮らしをしている车いすユーザーの人がいるのですが、彼いわく、収纳の上の部分というのは使えないし、ガスコンロは、车いすユーザーからすると位置的に高くて非常に危ないとか、水道の高さの问题で水が袖を伝ってしまうとか、不便が多いんです。そんな话を闻いていましたので、立ち上がることができるということによって、生活の中の利便性も生まれますし、日常で可能になることが増えて、あのご研究は、とても意义深いと感じました。
それが今回の大学访问で感じたことなんです。大学生だったころは、演剧に兴味があって、その兴味のままに、当时おられた先生方のお力をお借りして演剧史に関して卒论を书くことができました。あれから30年経って、当时は想像もしていなかったですけど、障害という分野に自分が兴味を持った时に、それならということで反応してくださる方が母校にたくさんいらして、教えを乞うことができた。私がいま、何に対してもさしたる兴味を持っていなければ、大学访问は単なる思い出の场所巡りになったかもしれませんが、「知りたい」と思うことがあって戻ってきたときに、その兴味が共鸣する懐の深さがある场所だなと思ったんです。
そもそも自分の兴味が谁かの兴味と重なるというのは、実际にはそんなにあることではないですよね。なのに、自分の兴味に谁かが関心を寄せてくれて、しかも相手が自分の考えをより高いところに引き上げてくれる----そういう人たちが、大学という场所にはゴロゴロいらっしゃるなと改めて感じました。
そこで思いついたのが、「全ての兴味が共鸣する」という言叶だったのですけれど。それは「あなたの兴味が共鸣する」でもいいのかもしれないです。
何かに兴味を持っていて、それはどういうことなのだろうと、もう一歩进みたいときに、その先におそらく学问というものがあって、それに関わることを研究していらっしゃる方が、筑波みたいな非常に大きな大学、専门も分かれていて、たくさんに多岐に渡っている大学だと出会いやすいのだなということを改めて感じました。
そうですね。だって、大学の敷地内で牛饲っているんですよ(笑)。
大学生として大学にいるときはあんまり気がつかないことかもしれないですけど、社会人になりますと、何かを调べたいとき、何かを知りたいときに结构お金と时间がかかるんです。私は脚本家なので、职业柄、常にいろんなこと、新しいことを调べに行くんですけど、まず、ちょっとした専门的な図书馆に入るっていうのが大変なんですよ、大学生とか院生とかいう身分がない人间にとっては。中央図书馆に行ったときには、「ああ、あれを调べていたときにここに入れたら楽だったなぁ」と思いました。今度、牛に関して调べる必要ができたときには、「筑波大のあの辺に行けば牛を见られる」ということは、私の中にインプットされました(笑)。
学问の点で申しますと、私は、当时の区分で言いますと、第一学群人文学类オリエント?ヨーロッパ史専攻で、ヨーロッパ史を専攻しました。
歴史学をやったことで、何らか証拠がなくてはいけないとか、証明しなくてはいけないという感覚が养われましたね。私が仕事としている演剧とか映画もドラマも、何をもって良しとするかというのが非常に曖昧模糊として、かついろいろな视点から様々な评価が下るものです。そのため、感覚を大切になさる方もいらっしゃいますが、私自身は、なるべく『知识』や『証明可能なもの』にはこだわることにしています。ですから、调べることにいまでも相当な时间も労力もかけますし、それを评価していただくことも多いです。その基本は、やっぱり筑波大学で歴史学を学んだからこそ培われたと思います。
もっと个人的な、人生経験の点で申しますと、当时それこそ何十时间も友人と语り合ったことが大きいです。高校までって本当に地域的にも近くの、私の场合で言うと徳岛で育った近所の子しか知らないというような中で生きていましたけど、大学に来た时に、いろんな环境で育って、いろんな経験をして、いろんな考えを持っている人たちと出会って、男女関わらず长时间话をしました。同じ20年弱の人生でもこんなに违うのかとも思いましたね。亲に対する复雑な思いを持っている子もいましたし、関係性に悩んでいる子もいましたし、兄弟に対してもそうですけど。恋爱を含めいろんなことで悩んでいる人たちが大学の近所に住んで夜中でも行き来して语り合える。
若いですから、やっぱりみんな不安だし、失言もするし喧哗もするわけですよね。でも、そんなことも含めて长い时间かけて付き合えたっていうのは、やっぱり素晴らしいことだったなと思うんです。就职してからだと、一晩中语り明かすなんてなかなかできないですから。大学时代にしかできない连日何时间も语り合うという経験をして、私の、人间に対する理解の基本みたいなものはできあがったと思っています。
大学时代って、初めて自分の时间で何をするかということを大胆に决められる时期じゃないかと思うんです。人にもよるでしょうけど、大体の人が高校生までは决まった时间に学校に行き、授业を受け、亲と一绪に决まった时间にご饭を食べたりと、一日の中の大半を定められたスケジュールでこなす。それが、大学になると急に自由になる。
もちろん、自由の怖さもあります。私の友人の中でも何人かいましたけど、それまでの生活が大学の受験のためにあったから、入学したら安心して自堕落になっちゃうとか(笑)。でも遊びほうけたとしても、それが一概に悪いとも言えなくて、そこでその先の人生に対するヒントを得る人もいるかもしれないですし。学んだり、遊んだり、すべて含めて自分の4 年間をどういうふうに使って、その先に向けていこうかな、というのが見つかるといいなと思います。
[聞き手 広報局次長 髙井孝彰]