TSUKUBA FRONTIER #005:小さな命をひとつひとつ救う 医療の最前線を支える大きな信頼と判断力
医学医療系 平松 祐司(ひらまつ ゆうじ)教授
1961年 爱知県生まれ
1980年 爱知県立时习馆高等学校卒业
1986年 筑波大学医学専门学群卒业
1992年 筑波大学附属病院心臓血管外科レジデント修了
1994年 米国ペンシルバニア大学胸部外科研究员
1998年 筑波大学临床医学系(呼吸器?循环器外科)讲师
2001年 米国フィラデルフィア小児病院心臓外科研修
2006年 筑波大学大学院人间総合科学研究科助教授
2010年 ベトナム、チョーライ病院での心臓外科技术指导开始
2011年 筑波大学医学医疗系外科学(循环器)准教授
2013年 同教授、附属病院小児集中治疗センター副部长
前例のないケースに挑む
生まれつき心臓の右心室と左心室の間の壁に穴が開いている病気(心室中隔欠損)は珍しいものではありません。通常は生後、体重3?4kgに成長するのを待って手術を行いますが、このケースでは1kgほどの極小未熟児で生まれ、その直後から命にかかわる状態に陥りました。かつてない低体重の手術ですが、すぐに処置しなければ手遅れになることは明らか。決断はひとつしか残されていませんでした。 しかし、あまりに小さな赤ちゃんです。心臓の大きさはウズラの卵ほど。さすがに直接メスを入れるのは困難でした。そこで最初に行ったのが肺動脈にテープを巻いて肺への血流を絞る手術です。手技自体は一般的なものですが、太さ数ミリの血管、しかも周りにほとんどスペースのないところヘテープを回すのは至難の業。ちょっとでも傷をつけたらアウトで1mmの誤差も許されない、そんな緊迫した作業でした。
4か月后、3办驳弱にまで成长した段阶で2度目の手术を行いました。今度は心臓の穴を直接ふさぎます。人工素材でできたパッチをあて、周囲を糸で缝い付けていきます。手芸と同じ要领ですが、やり直しはききません。ひと针ひと针が真剣胜负。それを15~30分ほどで终わらせる手际のよさも必要です。
手术は成功したものの、容态は安定しませんでした。その日のうちに心臓が止まってしまい、心臓マッサージと补助循环装置で6日间、なんとか命をつなぐことができたのです。その后は徐々に回復に転じ、3か月后には元気に退院していきました。振り返ると、奇跡がいくつも重なったようなケースでした。
チームカが発挥される小児滨颁鲍

このような治疗は外科だけではできません。生まれたばかりの赤ちゃんを最初に助けるのは新生児科です。点滴を入れたり、人工呼吸の管を通したり、それを新生児用のカプセルの中で行います。まさにボトルシップ细工のような繊细な作业です。それから外科医の出番。手术室には、执刀医の他に麻酔科医、人工心肺などの机器の技师、看护师、アシスタント、最低でも7?8人のチームが必要です。术后のケアも含め、それぞれがプロの仕事を120%果たして初めて、一つの治疗が成功するのです。
治疗の舞台となったのは筑波大学附属病院の小児滨颁鲍(小児救命救急センター)。未来ある子どもたちを救う重要な施设ですが、病院ビジネスの面ではコストパフォーマンスが悪く、全国的にも整备は进んでいません。そんな中で厚生労働省との交渉や病院内の调整に奔走し、2013年1月に开设されました。国内で8ヶ所しかないうちの、一番新しい施设です。
このセンターは高度救命救急医疗に特化しており、他の病院では治疗ができない重篤な小児患者を扱います。ですから受け入れの要请は絶対に断りません。すべての科がいつでも対応できるよう待机しています。8つのベッドはほぼ常に満床。これからの医疗を担う若い人たちにとっては、命を救う先头たつ自覚とモチベーションを培う魅力的なユニットです。
「ノブレス?オブリージュ」の心で
医疗には、知识や技术?设备だけでなくコミュニケーションも不可欠です。特に小児滨颁鲍では、短时间で患者の両亲との信頼関係を筑かなくてはなりません。うまくいくとは限らない手术に同意するか、治疗法の选択肢がほとんどない状况で判断を迫られる両亲には、医学的な细かい説明よりも、その手术が子どもにとってどれほど重要か、そして、何としても助ける、という医师の诚実で强い気持ちが頼りです。
もちろん、小さな体に伤をつけるためらいや、自分の患者が命を落とすようなことは避けたいという思いはあります。その葛藤やプレッシャーを乗り越え、患者に対して最普を尽くす高い志とリスクを负う覚悟を持つ。それがプロフェッショナルたる医师が果たすべき责务「ノブレス?オブリージュ」の精神であり、患者やチームの信頼を得る第一歩なのです。
一番远いところを目指す
外科は患者の体に最も直接的なアプローチをする医疗です。その中でも心臓外科の道を选んだのは、一番难しそうに见えたから。心臓はまさしく命にかかわる臓器で病気の症状もさまざま、治疗のテクニックや道具も多彩なうえ、复雑な思考プロセスや判断力が求められます。最初はとても无理だと思いましたが、だからこそ自分にとって一番远いところへ行ってみようと决心しました。
小児専门の心臓外科はさらに难しい分野です。成人とは违い、先天性の疾患を扱うため手术のバリエーションも多く、どれも初めてのケースのようなもの。それを、多い时には一度に4?5人の患者を担当し、それぞれの治疗方针や経过のことを常に案じ、手术の前にはイメージトレーニングを繰り返します。过去の症例や経験に基づいた判断でも、それで正しいのか、毎日が紧张の连続です。それだけに、命を救う达成感は何にも代え难いものがあります。
大学は教育の场ですが、実际の医疗は教科书通りにはいきません。医疗现场での自らの姿を通してしか伝えられないこともあります。医师というのは地道な仕事。一度に一人しか助けることができないもどかしさも感じつつ、それでも、医学生にとっての目指す姿、越えたいと思える存在でありたい、その愿いを秘めてさらに远くへ歩み続けます。

(文責:広報室 サイエンスコミュニケーター)